落日燃ゆの広田弘毅 [落日燃ゆ 広田弘毅]
落日燃ゆとは、
広田弘毅(ひろた こうき)の生涯を描いた小説、テレビドラマ。
初版1974年。毎日出版文化賞と吉川英治文学賞を受賞。
東京裁判で絞首刑を宣告された七人のA級戦犯のうち、ただ一人の文官、広田弘毅。戦争防止に努めながら、その努力に水をさし続けた軍人たちと共に処刑されるという運命に直面させられた広田。そしてそれを従容として受け入れ一切の弁解をしなかった広田の生涯を、激動の昭和史と重ねながら抑制した筆致で克明にたどる。
2009年3月15日、テレ朝でドラマ化されているが、それ以前1970年代に最初のドラマ化があったらしい。
レビュー:
長いけどお薦め。
広田は、軍の暴走を許して戦争を止められなかったと、あまんじて受け入れようとする。
日本のために何があっても諦めずに最善を尽くし続ける姿勢には心を打たれる。
テレビドラマ2009年版のキャスト:
広田弘毅:北大路欣也
広田静子(妻):高橋惠子
広田弘雄(長男):木村彰吾
広田正雄(三男):山本耕史
広田美代子(次女):遠野凪子
広田登代子(三女):原田夏希
広田徳平(父):長門裕之
高橋是清(蔵相):神山繁
板垣征四郎(陸相):石田太郎
荒木貞夫(文相・陸相):目黒祐樹
寺内寿一(広田内閣陸相):寺田農
山本五十六(海軍次官):内藤剛志
近衛文麿(首相):平田満
佐藤賢了(陸軍軍務局課員):橋爪功
西園寺公望(公爵・元老):大滝秀治
吉田茂(外務省の同期・のち首相):津川雅彦
著者の城山三郎(しろやま さぶろう)は、
(1927-2007)名古屋生まれ。一橋大卒後、1959年『総会屋錦城』で直木賞、1996年、菊池寛賞、2002年、朝日賞。落日燃ゆのほか、黄金の日日、硫黄島に死す、男子の本懐、等も。
(以下は小説・ドラマとだいぶイメージの違うことを書きますので、イメージを覆されたくない方はご覧にならないことをおすすめします。)
広田弘毅の評価としては、
服部龍二著、広田弘毅-悲劇の宰相の実像、が出版されている。
この中で、
(広田に対し)過度に同情的な描写が、広田の実像から離れているように思えた。
等身大の広田像を慎重に描き直さねばならないはずである。
合理主義的な外交官でありながら、玄洋社の流れをくむ国士でもある広田は、二つの顔に揺れていた。高揚する世論と(近衛公の)ポピュリズム政治に動かされた広田は、蒋介石政権との交渉を見限りはじめるとともに、傀儡政権の樹立という陸軍の構想に取り込まれ(た。)
とのこと。
また、
実のところ昭和天皇も、広田に失望していた。
猪木正道著作集・第四巻の広田に対する酷評を目にした昭和天皇は宮内庁を通じ、“「猪木の書いたものは非常に正確である。特に近衛と広田についてはそうだ」と首相在任中の中曽根康弘に伝えている。
とのこと。
死刑に処せられたのは、主体性をなくして陸軍に追従してしまった結果といえるのかも。
関連記事:
芥川賞と直木賞、受賞作
直木三十五宅、最後の公開
広田弘毅(ひろた こうき)の生涯を描いた小説、テレビドラマ。
初版1974年。毎日出版文化賞と吉川英治文学賞を受賞。
東京裁判で絞首刑を宣告された七人のA級戦犯のうち、ただ一人の文官、広田弘毅。戦争防止に努めながら、その努力に水をさし続けた軍人たちと共に処刑されるという運命に直面させられた広田。そしてそれを従容として受け入れ一切の弁解をしなかった広田の生涯を、激動の昭和史と重ねながら抑制した筆致で克明にたどる。
2009年3月15日、テレ朝でドラマ化されているが、それ以前1970年代に最初のドラマ化があったらしい。
レビュー:
長いけどお薦め。
広田は、軍の暴走を許して戦争を止められなかったと、あまんじて受け入れようとする。
日本のために何があっても諦めずに最善を尽くし続ける姿勢には心を打たれる。
テレビドラマ2009年版のキャスト:
広田弘毅:北大路欣也
広田静子(妻):高橋惠子
広田弘雄(長男):木村彰吾
広田正雄(三男):山本耕史
広田美代子(次女):遠野凪子
広田登代子(三女):原田夏希
広田徳平(父):長門裕之
高橋是清(蔵相):神山繁
板垣征四郎(陸相):石田太郎
荒木貞夫(文相・陸相):目黒祐樹
寺内寿一(広田内閣陸相):寺田農
山本五十六(海軍次官):内藤剛志
近衛文麿(首相):平田満
佐藤賢了(陸軍軍務局課員):橋爪功
西園寺公望(公爵・元老):大滝秀治
吉田茂(外務省の同期・のち首相):津川雅彦
著者の城山三郎(しろやま さぶろう)は、
(1927-2007)名古屋生まれ。一橋大卒後、1959年『総会屋錦城』で直木賞、1996年、菊池寛賞、2002年、朝日賞。落日燃ゆのほか、黄金の日日、硫黄島に死す、男子の本懐、等も。
(以下は小説・ドラマとだいぶイメージの違うことを書きますので、イメージを覆されたくない方はご覧にならないことをおすすめします。)
広田弘毅の評価としては、
服部龍二著、広田弘毅-悲劇の宰相の実像、が出版されている。
この中で、
(広田に対し)過度に同情的な描写が、広田の実像から離れているように思えた。
等身大の広田像を慎重に描き直さねばならないはずである。
合理主義的な外交官でありながら、玄洋社の流れをくむ国士でもある広田は、二つの顔に揺れていた。高揚する世論と(近衛公の)ポピュリズム政治に動かされた広田は、蒋介石政権との交渉を見限りはじめるとともに、傀儡政権の樹立という陸軍の構想に取り込まれ(た。)
とのこと。
また、
実のところ昭和天皇も、広田に失望していた。
猪木正道著作集・第四巻の広田に対する酷評を目にした昭和天皇は宮内庁を通じ、“「猪木の書いたものは非常に正確である。特に近衛と広田についてはそうだ」と首相在任中の中曽根康弘に伝えている。
とのこと。
死刑に処せられたのは、主体性をなくして陸軍に追従してしまった結果といえるのかも。
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